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巫娜 Wu Na/古琴奏者、古琴教師

1979年四川省重慶生まれ
1992年“92杭州国際古琴招待コンペ”にて優秀演奏賞受賞
1997年中央音楽学院付属高校古琴科卒業
2001年中央音楽学院古琴科卒業
2004年中央音楽学院古琴科修士課程修了
2003年琴館(古琴教室)を設立
2008年アメリカのAsian Cultural Councilの奨学金を得て、5ヶ月間ニューヨークに滞在
2009年ロンドンバービカン・センターでのイベント参加

「自分自身、いかに古琴と向き合うかが重要」 R: 巫娜 さんの個人的なお話を伺っていきたいのですが、日頃、どのような音楽を聞くことが多いですか?

W:普段は、実験音楽的なものをよく聞きますね。「実験音楽」といっても、様々な音源がミックスされているので、非常に範広いですけど。また、エレクトロニックミュージック、ラウンジ系もよく聞きます。ポッポスや古典音楽などはあまり聞かないかな。

R:その普段聞く音楽は、巫娜さんが古琴を奏でる上で糧になっていますか?

W:思考や概念の面で非常に糧になっていると思います。その音楽家は、どうしてそのような音を生み出したのか、彼らはどうやってそれらの音楽と向き合っているのかなど、啓発されますね。また、今年に入って、古琴は心で奏でなければならない楽器なんだと改めて分かりました。これまで、数人のミュージシャンとコラボレーションしてきましたが、重要なのはそのようなスタイルではなく、自分自身いかに古琴と向き合うかということだと思います。外の世界に接して、刺激を受けて再び元に戻る。その過程は非常にすばらしいということも分かっています。ですから、コラボ、独奏、コラボ、独奏という循環が重要なんです。古典の楽曲を独奏するだけでなく、このような循環がある方が意義があると思っています。また、今回のニューヨーク滞在中にも、様々なミュージシャンと知り合いました。

R:今お話にありましたニューヨークでのお話を伺いたいのですが、今年、アメリカからの奨学金で5ヶ月間ニューヨークに滞在されたんですよね。どのように過ごしていたんですか?色々、感じることがあったと思います。

W:特に何をしたというわけではないのですが、毎日、美術館や博物館に行って展示を見たり、ライブに足を運んだり、ニューヨーク在住のミュージシャンと交流をもったりしていました。見て、聞いて、学んで。どれだけ学ぶことができたのかは今は口では言えませんが、学んだものはすべて身体の中に吸収できたと思います。これから、ニューヨークで学んだことを消化し、自分自身のものにする必要があると思っています。 また、ニューヨークという街には、あらゆる善悪が集まってきます。今回、日本のエレクトロニックミュージシャンと他のミュージシャンとのコラボを見たのですが、彼らの即興での演奏があんなにもすばらしいなんて、びっくりしました。それぞれが発する音は違うのに、現場でミックスされることでいい効果を生んでいる。メロディーはなく、非常に抽象的な音なんだけれど、すばらしい。以前、ドイツで聞いたコラボとは全く違う感じでした。ドイツのピアニストは椅子に座って弾くのではなく、立ったまま様々な動作を取り入れて、演奏というより、叩くといった感じで音を出していました。でも、ニューヨークで見たコラボは、伝統的な演奏方法にのっとって、新たな音を生み出している。そのような違いを感じましたね。

R:また、観客の姿勢も中国とでは全然違うのではないですか?

W:きっと、ステージ上のミュージシャンと観客の心が一体となっているかどうかが大きな違いといえるのではないでしょうか。 海外のミュージシャンの音楽は、聞く人間の身体が音楽の中に吸い込まれていく、そのような感じを受けますね。

R:今回も色々と刺激を受けられたのでしょうね。

W:ええ。また、ニューヨークでは、日本、韓国の伝統楽器を使って実験音楽を演奏するミュージシャンとも知り合いました。彼らは、自国の伝統楽器を使って、現代音楽を生み出している。私が目指すところでもあります。聞いた感じは全く伝統的ではなく、現代的なリズム、新しい技法を取り入れているんですよね。例えば、棒を使って太鼓を叩いたり、あらゆる試みをしていますよね。その楽器からすばらしい効果が生まれ、その音がよければそれは成功といえます。古典的な楽曲も元々は、そのようにして生まれたんだと思います。 「コラボで大切なのは、相手との心の交流」 R:巫娜さんもミュージシャンとコラボされていますよね。中国ロック界の巨匠、崔健や賣唯など。また、賣唯とはCDも出しています。コラボについては、どのように考えていますか?

W:まず、人間の思考というものは各自違います。ですから、コラボで重要なのは、相手との心の交流だと思っています。その相手とのやり取りで意気投合できれば、それは非常にすばらしいですよね。また、彼らから啓発されますしね。

R:ただ、古琴とギター、ベース、ドラムなどの音色は全く違います。古琴の音は非常に小さいですよね。うまくミックスされますか?

W:まず、古琴はバンドの中でメインの楽器になることはどう考えても無理です。バンドの中での一つの音色であり、ライブ会場に花を添える楽器でしかないのです。 古琴の音量は小さいですし、ギターやベースのような存在にはなりえません。それは、しかたのないことです。

R:以前、モダンダンスとのコラボを拝見しました。非常に新しいスタイルのライブだなと感じました。音楽、ダンス以外の分野とのコラボを経験したことはありますか?

W:書道ですね。他の分野はまだありません。

R:初めてコラボをしたのはいつですか?

W:1999年に国際ジャズフェスティバルでの陳底里(*)とのコラボですね。私に非常に大きな影響を与えたコラボ、ライブでもあります。今から約10年前ではありますが、陳底里の概念は非常に斬新だったといえます。即興ライブ、マルチメディア、映像、インスタレーション、モダンダンス、パフォーマンスなどあらゆるメディアを取り入れて一つの作品に仕上げたんです。作品はとてもすばらしかったし、その頃から実験的なことに興味を持ち始めました。私にとっての転換期だったといえます。

R:大学時代のお話を伺いたいのですが、アルバイトなどはしていましたか?

W:茶館で演奏したり、古琴を教えていました。アルバイトでかせいだお金は生活費にしていました。一ヶ月で約2,000元(約30,000円、2008年現在)ほどかせいでいました。ですから、一人の学生にしたら十分な生活費です。

R:当時は中国ロックが非常に勢いのあった時代でした。 巫娜さんもやはり中国ロックは聞いていましたか?

W:北京に移り住んでから中国ロックやバンドの存在を知りました。例えば、コラボしたことがある崔健などです。また、大学に入ってから、賣唯の存在を知りました。クラスメートや周りの友人は皆、崔健や賣唯の歌を歌っていましたね。

R:当時、影響を受けた音楽家などはいましたか?

W:音楽における審美眼というのは、大学の時に確立されたのかなと思っています。オーケストラや西洋の音楽に触れたのも、学生の時でしたね。当時好きだった作曲家は、例えば、リヒャルト・シュトラウス、グスタフ・マーラー、イーゴル・ストラヴィンスキー、クロード・ドビュッシーなどです。彼らの曲には、どこか革命的な音を感じるんですよね。また、古琴の巨匠である呉文光の演奏も好きですね。彼の奏でる古琴の音色には感情が入っていますし、彼の演奏方法は動作が大きかったり、伝統的な演奏方法ではないので新しいんです。10年アメリカで生活されていたということも大きいのでしょうね。

R: 大学の同級生の中には、すでに結婚、出産されている方が多くいると思うのですが、巫娜さんは彼女たちを羨ましいと感じることはありますか?

W:彼女たちを羨ましいと思うかと聞かれたら、30パーセントくらい羨ましいかな。家族がいて、子供がいて、幸せで落ち着いた場があるという点では羨ましいですね。ただ、それよりも今の私の生活、私の仕事の方が自分に合っていますね。

「中国、内面を磨くにはまだ時間が必要」

R:北京での生活にはすっかり慣れていると思うのですが、北京は好きですか?

W:好きですね。 北京では、予測のつかない物事が発生します。私は北京での生活が長いですし、ここを離れる気持ちはないですね。その都市を熟知し、生活に慣れてくると自然とその都市が好きになるものです。今回、ニューヨークに滞在し、街の状況がつかめ、慣れてくるにつれニューヨークが好きになりました。でも、やっぱり北京が恋しかったですね。早く北京に戻りたいと思っていました。また、ニューヨークでの食事は、慣れませんでしたね。おいしい、また食べたいと思える食べ物がなかったです。ですから、やはり北京での生活がむいているんだなと思いました。

R:それでも、中国の他の都市での生活は考えませんか?

W:生活の基礎がすでに北京でできあがっていますからね。友人もたくさんいますし、北京での仕事も落ち着いていますから、北京以外はあまり考えません。でも、上海は好きですよ。上海にはジャズミュージシャンの友人がいるのですが、音楽に対する考え方は、上海、北京では全く違うといえます。

R:例えばどのような点ですか?

W:以前、上海のジャズミュージシャンと話をした時、上海では彼が思うままには音楽活動ができないことが多々あると言っていました。彼自身、どのような音楽を創作すべきか明確なのに、周囲が彼を落ち着いた精神状態にさせない。彼が思うままに音楽活動ができるようになるまで、まだまだ時間が必要なのかもしれません。北京ではあまりそのようなことは聞いたことがないですね。

R:北京で特に好きな場所はどこですか?

W:やはり、ここ、琴館でしょうね。庭があって、静かでとにかく落ち着くんですよね。

R:最後に、10年後の中国はどのような姿になっていると思いますか?

W:まず、中国社会は、より欧米の影響を受けているでしょうね。それは、避けられないと思います。こんなにも人口の多い広い中国を、一人の人間が一つの思想で治めることは不可能です。北京オリンピックが終了し、中国はより自由になりました。ある制限の中での自由ではあるのですが。中国は、外見は非常に美しく着飾っていますが、内面を磨くには、まだまだ時間が必要でしょうね。   

*四合院:中国の伝統的家屋建築
*陳底里:1968年湖南省生まれのミュージシャン。
(インタビュー:2008年9月14日)

巫娜 の人生で影響を与えた5つのあれこれ
・伯父と伯母?音楽を学ぶ上で
・北京に移り住んだこと?音楽の勉強、別の世界を知った
・母が他界したこと?独立
・古琴を弾くこと?生活の半分
・海外に出たこと?幼い頃の夢が実現した


『消失的光年』大喬小喬
「鳳求凰古琴曲」喬小刀とのコラボ 曲を聴く
*巫娜本人の許可を得て、音源を提供しています。




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