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王一揚 Wang Yiyang/ファッションデザイナー

1970年吉林省長春生まれ
1992年東華大学ファッションデザイン科卒業
卒業後、12年間東華大学ファッション科の講師を務める
1997年兄弟杯時装設計コンペにて三等賞受賞
1997年〜2001年陳逸飛アパレル会社にてレディースデザインを担当
2001年ブランド『ZUCZUG』(中国名『素然』)設立
2004年上海にショップ『茶缸』と同名のブランドを設立(茶缸は「マグカップ」の意味)
2006年オランダ・ロッテルダム、中国現代アート・デザイン・建築展参加
2007年ドイツ・ベルリンAedesギャラリー、中国のアーティスト・デザイナー展参加
2008年イギリス・ロンドンV&A博物館、CHINA NOW展参加

http://www.zuczug.com/
http://www.chagang.cn/

「 ハイスピードの状態では、シンプルで落ち着きあるものは受け入れられない」 R:シンプルなデザインに対してはどのようにお考えですか?中国の若者を中心に、日本の無印良品のシンプルなデザインを好む人が増えていますよね。

W:日本は、「純」なものへの追求心が非常に強いんだと思いますね。そして、日本の影響を受けている中国のクリエイターは非常に多いです。ただ、その土地によって問題の解決策は違いますし、求めているスタイルというのも違ってきます。西洋で受けがいいものが、中国で必ずしも受けるとは限りません。 中国はまだ発展途中にあります。ですから、中国の国民は現在、ハイスピードの中にいる。スピードが激しい時、シンプルで落ち着きのあるものはなかなか受け入れられない。スピードが落ち着いた時、自然と「純」で落ち着きのあるものが受け入れられるのではないでしょうか。

R:今年は北京オリンピックが開催され、世界に今の中国を見せる意味でもいいチャンスでした。そして、2010年には上海国際博覧会が開催されます。

W:そうですね。私は上海在住ですので、今回の北京オリンピックの直接的な影響は受けませんでしたが、北京オリンピックが終了し、改めて中国社会に目を向けた時、中国にはまだまだ時間が必要だと感じましたね。再来年の国際博覧会は、上海の都市に大きな影響を与えると思います。ただ、中国は非常に広大です。一つのイベントがあって、国全体に影響がでるかと言えば、それは難しいことです。北京オリンピックがあろうが、上海国際博覧会があろうが、地方都市で生活する人たちの生活とはあまり関係のないことなんですよね。(笑)

R:初めて海外のファッションやデザインに触れたのはいつですか?

W:大学に入学してから、大学の図書館で海外のファッション誌を見て知りました。当時、中国国内で読める海外の雑誌は限られていましたし、非常に高かったので、図書館で閲覧することしかできませんでした。日常生活では、海外の映画に触れることはできましたが、ファッションに触れることはできませんでしたね。

R:留学生と交流することはなかったですか?彼らから海外の情報をもらうとか。

W:列車の中で、日本人の留学生と知り合ったことがありましたね。(笑)ただ、留学生と今みたいに自由な交流が許されていた時代ではなかったので、学校からは、「留学生と接した後は、必ず報告しなさい」と言われていtんですよ。(笑) 「 北京、新しいものに飛びつく迫力は上海を上回る」 R:上海はやはり中国国内でもファッションの中心都市といえますか?上海はよくそのように形容されていますが、 王さんご自身はどうご覧になっていますか?

W:昔は、言うまでもなくファッション都市上海といえたと思いますよ。

R: 王さんのおっしゃる「昔」とは、1920年、1930年頃のことですか?

W:もちろん、20年代、30年代もそうですが、それ以降も。上海製のものは質もよく、また、上海の人たちのスタイルも個性的でした。植民地でもありましたからね。ただ、今、はたしてファッションの中心都市上海と言えるのかどうかは分からないですね。もしかしたら、北京なのかもしれません。

R:それは、意外なお答えでした。何故、そう思われるのでしょうか?

W:まず、上海と北京は全く違う都市といえます。上海は、ホワイトカラーが多く生活している都市でもあり、確かに、おしゃれやファッションに対する人々の関心は強いです。しかし、昔から文化の中心地は北京でしたし、ここ2年の北京の急速な発展ぶりは驚くばかりです。また、北京の人たちの新しいものに飛びつく迫力というのは、上海の人間を上回るのではないでしょうか。上海はビジネスの街で、また、非常に保守的なんです。上海の人々は、規則を守り、信用を重んじている。一方の北京は、何でもありで、信用できない人間もたくさんいます。(笑)でも、多様性があり、勢いがあります。上海は、香港に似ているかもしれませんね。

R:それでも、上海在住のファッションデザイナーは多いですよね。

W:ええ、確かにそうですね。きっと、上海の商業空間と関係があるのかもしれませんね。上海の街は北京と比べても狭いですし、歩いて移動が可能です。でも、北京は広すぎて無理ですよね。車がないと不便。上海の街を歩いていると、小さなショップが立ち並んでいるのが分かると思うのですが、上海の人たちはそれらのショップに入り、消費していく。そのような空間と関係があるのかもしれません。ただ、今後は、北京がより重要な街になるんじゃないかと思っています。もちろん、上海も重要なのですが、北京はもっと注目される街になるでしょう。北京の消費力は、上海を超えていると思うんです。

R:2010年の上海国際博覧会後、上海にもより変化がおとずれると思うのですが。

W:もちろん、国際博覧会後、上海はより発展するでしょうね。実は、私は上海より北京の方が好きなんですよね。(笑)すでに会社がここ上海にありますし、上海を離れることは難しい。でも、今後は、頻繁に北京に行くことになると思います。また、北京にもショップをもつ予定でいます。

R:ご自身は服のデザインをされる際、自分自身が中国人であるという意識はデザインに反映されますか?

W:『ZUCZUG』では、売れるためのデザインをしてきました。海外で今どのようなスタイルが受け入れられているのかなどを考慮してデザインしています。一方、『茶缸』を設立した時、自分自身のバックグラウンドを取り入れてデザインにしました。『茶缸』の服には、私自身の言語が反映されています。ですから、中国人であるという意識は少し含まれているかもしれませんね。

R:中国人、中国を強調したデザインというわけではないんですよね?

W:ええ、「個人」を反映したデザインですね。個人のバックグランド、例えば、子供の頃の服に対する思いだったり、当時の街行く人の恰好だったり。当時の中国人は、西洋人とは全く違うスタイルで、非常に面白かったのを覚えています。

R:日本や欧米のファッションデザイナーが音楽や演劇、映画といった別のジャンルとコラボレーションすることはすでに定着しています。 中国では、ここ数年、少しずつ増えているようですが、王さんは、他分野とのコラボをどうご覧になっていますか?

W:私自身、『茶缸』を設立してからコラボのチャンスが増えましたね。特にここ2年くらいでしょうか、アーティストや建築家と共に展覧会に参加するとか、北京のモダンダンスグループに衣装を提供したり。中国では、以前、他分野との交流が非常に少なかったんです。その後、西洋人が企画した展覧会などの席で交流を持つようになり、次第に国内でもコラボをするチャンスが増えてきました。ですから、国際交流が中国に与えた影響は、非常に大きいんですよね。

R: 王さんご自身は、今後も他分野とのコラボを望んでいますか?

W:ええ、今後も是非コラボしたいと思っていますね。分野は違っても、皆、抱えている問題が似ていたりするんですよね。

R:王さんご自身はどのような恰好がお好きなんですか?今日着ているシャツはとてもシンプルで、肌触りが良さそうですよね。

W:(笑)これは、無印良品のシャツなんです。普段は、やはり着心地がよくシンプルな服が好きですね。有名ブランドの服などは買ったことないですね。(笑)

R:『ZUCZUG』と『茶缸』で使用されている素材は、どちらも肌触りのいい、ゆったりとした素材を多く取り入れていますね。

W:『茶缸』でよく使用している藍色の布、あの藍色は植物で染めた色なんです。日本にもあると思うのですが、中国の農村部では今でも藍染めの服を着ています。藍色の布は、国内でも非常に安く手に入るんです。着心地もいいですしね。

「中国、余裕が必要」

R:あるインタビューで、日本のファッションデザイナーの影響を受けたとおしゃっていましたね。

W:ええ、影響は受けていますね。おそらく、中国の大部分のファッションデザイナーが日本のデザイナーの影響を受けているんじゃないでしょうか。また、80年代、ヨーロッパのデザイナーも日本のデザインに衝撃を受けたようですよね。ファッションにおいても建築においてもプロダクトにおいても、日本のデザインは非常に強力だと思います。

R:ご自身のデザインにも、日本のデザイナーの影響が反映されていると思いますか?

W:ええ、反映されていると思いますよ。昔は、日本が中国の影響を受けていたのに、今は逆で、中国が日本の影響を受けている。非常に面白いなと思います。

R:大学でのお話を伺いたいのですが、東華大学は、国内でも重要なファッションデザイン専門の大学ですよね。ファッションを学ぶには、いい環境だったんでしょうか?

W:東華大学は、以前、中国紡績大学という名称でした。正直、先生方は一人としてファッションデザインの専門家とは言えませんでしたね。絵画出身者ばかりでした。ですから、デザインは、人の模倣をし、独自で学んでいったんです。今は、デザイナーのアトリエでインターンとして学ぶことができますが、当時、そのような環境はありませんでした。

R:講師をしながら、陳逸飛(*)の下でデザインの仕事もされていましたよね。彼のアトリエでデザインを学んでいったともいえるのでしょうか?

W:まず、大きなチャンスが与えられ、その中で、自分自身、トレーニングしていったと言えます。

R:2001年に一つ目のブランドを立ち上げ、今年で7年が過ぎたわけですが、ブランドを立ち上げた当初とここ数年で大きな変化があったことと思います。

W:そうですね。ただ、これまでずっと運が良かったんだと思います。もちろん、苦労はありましたが、ずっと自分の好きなファッションを仕事にできているということは、本当に恵まれているんだと思っています。ただ、初めにお話ししましたが、ブランド立ち上げの順序が間違っていたのかなと思ったりもします。初めに商業ベースのブランドを立ち上げてしまいましたから。中国の発展に合わせ、ブランドを運営していかなければならないため、何かしらの犠牲を払ったといえるかもしれません。今後は、ゆっくりと調整していけたらと思っています。

R:先ほど、北京の方が好きだとおっしゃっていましたが、上海も嫌いではないんですよね?

W:もちろん、上海には上海の良さがあります。北京より快適に過ごせますね。コンビニが多いですし、北京のように広くないので、歩いて移動できます。また、上海の人間は、どちらかと言えば性格がいいかな。(笑)また、植民地時代と関係があり、今でも上海は西洋とのつながりが濃厚です。でも、時々感じるのですが、上海のビジネスにおけるリズムが非常に速い。北京よりもね。また、ビジネス重視で動きますので、多様性に欠ける点があるかな。北京の場合は、あれもオッケー、これもオッケーという感じなんですよね。

R:最後に、10年後の中国はどのような姿になっていると思いますか?

W:(笑)なんとも言えないな。ただ、スローなリズムになっていて欲しいとは思いますね。中国は、まだ成熟していません。それに、国民も、ただ懸命に前に前に進もうとしているだけなんです。余裕が必要ですね。

*陳逸飛:1946年浙江省鎮海県生まれ。15歳で上海美術専門学校に入学。大学では油彩を学ぶ。卒業後、画家として活躍。1980年アメリカに留学。その後、絵画にとどまらず、映画、ファッションへと活躍の幅を広げる。1997年に二つのファッションブランドを設立。2005年他界。

(インタビュー:2008年10月17日)

王一揚に影響を与えた人
①両親–物事の処理の仕方、自分の長所、短所ともに両親から得たもの。
②友人
③これまで接した数人の先生–別の思考で物事を解決する術を教えてくれた。
④彼女



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