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陳可 Chen Ke/アーティスト

1978年四川省通江生まれ
2002年四川美術学院油画科卒業
2005年四川美術学院油画研究生修了
2001年第一回成都ヴィエンナーレ学生特別展にて“若手優秀賞”受賞
2007年北京、星空間にて初の個展開催
同年、イタリア、ミラノにて個展開催
2008年8月北京にて個展『一個人的戦争』開催
2009年イタリア、ミラノでのグループ展出展
2010年北京、上海、南京で作品出展
2011年スイスのルツェルン、韓国でのグループ展出展
2012年北京の今日美術館での個展開催
2012年絵本『和你在一起,永遠不孤単』出版

http://chenke.artron.net

「アートと人間の関係をより身近にしたい」 R:先日、2008年に入って初めての個展『一個人的戦争』(一人戦争)が開催されましたね。この『一個人的戦争』は中国の女流作家、林白の小説のタイトルからとったそうですね。

C:個展タイトルと同じタイトルの作品が、今年の年初に完成しました。タイトルを考えた時、なぜか頭の中に、昔読んだ林白の小説『一個人的戦争』が突然浮かんだんです。大学生の時に読んだので内容はおぼろげなのですが、確か、女性の境遇を描いていたと思います。作品を創作している間は自分自身との戦いで、失敗、成功の繰り返しでもあり、まさに戦争みたいだったなと思ったんです。それで、このタイトルに決めました。

R:毎回、個展のタイトルや作品タイトルは作品を完成させてからつけるんですか?それとも、創作中に?

C:作品が完成してからタイトルを決める場合が多いですが、たまに創作中にタイトルが浮かぶ時もあります。私は、文学と映画が好きなので、タイトルに反映されることが多々あるんですよ。

R:例えば?

C:ヴィム・ヴェンダースの映画『直到世界尽頭』(邦題『夢の涯てまでも』)や旧ソ連のある小説の主人公の名前「Korchagin」など、直接タイトルに使用しました。

R:今回、出展された作品は、これまでの絵画作品とは違い、柄物の布の上に描いていますね。どうして柄物の布を使用されたのですか?

C:今回初めて、服やカーテンに使うような柄物の布上に描きました。去年発表した、中国の古い家具や古道具や玩具の上に絵の具をのせたインスタレーションのシリーズを、今回は平面で発表したんです。幼少期、既製服が今ほどなかったので、気に入った布を買い、裁縫してもらっていたんです。ですから、今、布売り場でそのような柄物の布を見かけると、すごく懐かしくって興奮してしまうんですよね。(笑)そんな思いから、柄物の布を作品に使用しました。

R:今、お話に出ました、去年発表されたインスタレーションですが、どうして中国の古い家具や古い道具、玩具などを作品素材に選ばれたのでしょうか?

C:幼少期の思い出を形にしたいと思ったんです。それで、幼少期に自宅で使っていた家具や道具、玩具など思い出がこもったモノの上に色をのせました。

R:幼少期に思い入れが強いんですね。

C: ええ、とても強いですね。(笑)子供の頃のつらい思い出などは覚えていませんが、いい思い出は今でもはっきり覚えています。また、当時、人間関係はとても温かかったように思います。今みたいに裕福ではなかったし、欲望もそれほどなくとても質素な生活でしたが、今以上に皆、生活に満足していたと思うんです。今では、皆多忙で、他人とのつき合い方も分からなくなってしまっている。ですから、当時をとても懐かしく思うことがあります。

R:それでは、陳可さんは現代の中国をどのようにご覧になっていますか?

C: 私たちは時代を選べませんから、ただ、自分の置かれた時代に適応していくしかないんだと思います。勢いがあり、変化目まぐるしい今の中国で生活できるのは非常に喜ばしいのですが、急速な発展というのは、精神面に悪い影響をもたらしているようにも思います。他人に対する信頼も薄れていますしね。

R:作品の話に戻りますが、今回使用された柄物の布には、ところどころビーズが縫い付けられていますね。

C:アートと人間の関係をより身近にしたいと思ったんです。中国の現代絵画作品は、人間のために描いているのではなく、展覧会のために描いているようにしか見えないんですよね。私自身、何故アートを仕事にしているのか、作品を発表するということはどういうことなのか、よく考えるんです。ナンバーワンを目指しているのか、それとも、お金儲けのためなのか。幼い頃を思い出してみると、当時、手芸がとても楽しかったんです。それで、絵画の難解な一面にビーズなどを加えることで、見る人に快楽を与えたいと思ったんです。

R:過去の作品について伺いますが、2004年と2006年の作品を拝見しますと、明るい色から暗い色へと色彩においてあきらかな変化が見られますね。

C:2004年重慶にいた頃と北京に越してからの2005年以降では確かに違いがあります。重慶にいた頃は、白など淡くて可愛いらしい色をよく使っていました。重慶時代はまだ学生でしたし、とても質素な生活を送っていましたね。北京に越してからは、想像していたようなロマンティックなアーティスト生活とは違い、現実の様々な問題にぶち当たり、戸惑いました。そのような私自身の気持ちが色に現れたんだと思います。

R:陳可さんにとって色とはどのような存在なのでしょうか?新作では、赤が多く使われていますね。

C: 作品の色は、自分の精神面と関係があると思っています。今回、背景に赤をたくさん使いましたが、深い色を使うことで、布の柄を浮き上がらせると共に温かさを出したかったんです。
「非現実世界が好き。だから作品にも」 R:2004年からこれまで、少女をテーマにした作品を一貫して描いていますよね。どうして少女なのでしょうか?

C: これまで、少年や男性が描けなかったんです。でも、この一年でやっと男性が描けるようになりました。友人にも「やっと男性が描けるようになったよ」って報告しましたね。(笑)過去の作品には、男性は一人として登場していません。作品のストーリーを考え、自分の心情を表現する時、自然と私と同じ性別の少女が頭に浮かんだ。そういうことだと思います。

R:2006年以降、幻想世界や夢の世界ともとれる陳さん独自の世界が描かれていますが、以前、「小さい頃から妄想が好きだった」とおっしゃっていましたよね。壁のしみを見てあれこれ想像するのが好きだったとか。

C: 私はどちらかといえば、非現実的な世界が好きなんです。その非現実的な世界を作品に描くんです。いわゆる普通の人の生活、規則に従って生活するというのが嫌なんですね。また、私の母の世代の女性のように、ある程度の年齢になったら結婚して出産して……というのは考えられなかったですね。幸い、両親は私に対して、そのような生活を押し付けることはなかったですが。

R:アトリエには毎日いらっしゃるんですか?

C: ええ、ほぼ毎日来ますね。家にいるとなぜか窮屈に感じるんですよね。何故でしょうね。朝起きると、すぐにでもアトリエに行きたいと思ってしまうんです。アトリエに着くと、やっぱりここが私の空間なんだって落ち着くんですよね。一人で過ごす時間が好きなんです。

R:子供の頃から絵を描くことは好きだったのですか?以前、お話を伺った時、お父さんが美術教師で、お父さんが描いた水墨画を見ながら育ったと聞きました。

C:家には、父の作品が常にありました。私も子供の頃から絵を描くことは大好きで、両親も自分の娘はなかなか才能があると思ったんでしょうね、アーティストの道に進むことには反対せず、応援してくれました。

R:学生時代のお話を伺いたいのですが、陳さんが通っていた四川美術学院はどのような学校なのでしょうか?四川美術学院出身者同士、非常に仲がいいと聞きます。

C:四川省は、作品を創作する上で非常に落ち着いた環境といえるかもしれません。四川美術学院の出身者は、先輩も後輩も確かに仲がいいですね。四川美術学院出身のアーティストが展覧会を開催すると、オープニングには、出身校のアーティストが必ず集まりますね。私の展覧会にももちろん来てくれますよ。また、同窓会のように集まって食事をする機会も多いですね。でも、やっぱり……私は星空間(*)所属のアーティストたちと過ごす方が好きかな。(笑)ほぼ同世代だし、興味の対象が似ているので。よくカラオケに行ったりして盛り上がります。

R:なぜそんなに四川美術学院出身者は仲がいいんでしょうね?

C:きっと、伝統的な考えが根付いているからじゃないでしょうか。仲間を助けるのは当然だと。アーティスト同士もよく連絡を取り合っていますよ。ですから、アート関係者が四川美術学院出身のアーティストのアトリエを訪れたいとしますよね、一人のアーティストに連絡をすれば、他の四川美術学院出身のアーティストたちとすぐに連絡が取れてしまうんです。

R:大学では、やはり課題など多かったですか?

C: デザイン科の友人たちはよく徹夜をしていましたが、私は徹夜で課題を仕上げるということはなかったですね。彼らに比べると、比較的楽だったと思います。また、私が所属していた研究室は非常に斬新で、絵画だけでなく、写真やインスタレーションなども教えてくれたんです。自分のアイデアを発表し、それに対するクラスメートの意見を取り入れて作品にするという授業もありました。また、中国の著名な評論家を招いての授業や海外の現代アートの情報も得ることができました。北京よりも情報が少ない重慶という場所で、世界各国のアーティストの状況などを知る事ができ、非常に勉強になりました。ですから、研究室の先生には非常に感謝しています。

R:アルバイトは何かされていたんですか?

C: バーから依頼されてポスターを制作したり、子供たちに絵を教えたり、家庭教師もしましたね。依頼されて描いた絵を、依頼者があまりに安値で買おうとするので、「それだったら、売りません」と断ったということもありましたね。(笑)今でもはっきり覚えています。研究生になってからは、自分の作品を売るようになりました。それからは、仕送りに頼らずに生活できました。



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