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Profile

雷磊 Lei Lei/アニメーション作家

1985年 江西省南昌生まれ
清華大学美術学院グラフィックデザイン学科卒業
2009年 清華大学美術学院情報デザイン研究室修士課程修了
(旧中央工芸美術学院。雷磊は、清華大学美術学院に変わる前の最後の一期生)
2009年  オタワ国際アニメーションフェスティバルの学生部門に三作品ノミネート
2010年  オタワ国際アニメーションフェスティバル作品《THIS IS LOVE》が短編部門グランプリ受賞
2011年  オタワ国際アニメーションフェスティバル作品《My…My…》がノミネート
2012年  ザグレブ国際アニメーションフェスティバル作品《THIS IS LOVE》出品
2013年  オランダ・アニメーションフェスティバル短編部門にてフランスの写真家との共同作品《Recycled》グランプリ受賞。同年、TED( Technology Entertainment Design。カリフォルニア州ロングイーチで年一回、大規模な世界的講演会を主催しているグループ)@上海にてプレゼンテーションを。

http://www.raydesign.cn
http://raylei.blogbus.com

Interview [R:ROOT / L:雷磊]

「中国のアニメ産業は単なる加工業」 R: 雷磊さんは、清華大学美術学院に変わる前の中央工芸美術学院での最後の一期生だそうですね。

L:そうなんです。当時は、学校が北京市内の中心部にあったので、アートに触れる機会も多くてよかったんですよね。その後、1999年に清華大学の管轄下となったため、校舎も北京の北西郊外に移ったんです。環境ががらりと変わってしまったので、つまらなくなってしまいました。これからは、どんどん自分の好きなことをしていかなくちゃと思いましたね。

R:大学ではグラフィックデザイン、そして、大学院では、情報デザインを専攻されたとのことですが、それぞれ、具体的にどのような勉強をされたのですか?

L:まず、大学での4年間は、主に書籍の装丁デザインを学びました。指導してくれた先生の中には、杉浦康平さんの元で学んだ経験もある呂敬人先生もいました。4年間学んだあと、大学院では情報デザインを専攻したのですが、映像、マルチメディアアート、写真など、あれもこれも学ばなければいけないという感じでした。ただ、ある先生が「自分の好きなことをしたらいいよ」と言ってくれたので、その時から、アニメや絵を描くようになったんです。

R:卒業後、就職されたんですか?

L:いいえ。就職せず、絵を描き続けていましたね。ただ、運良く2009年の在学中に、雲南省の麗江という地域でのレジデンスに参加できたんです。アメリカ人がオープンしたスタジオが招いてくれたのですが、現地の農民たちのために壁画を描くというものでした。その時、これまでアートに長年関わってきて、卒業後に数千元の給与をもらって仕事をするのはナンセンスだなと思ったんですよね。自分の好きなことをやり続けたいって。北京に戻ってからも就職活動はせず、絵を描いていましたね。

R:ただ、自分の作品は、何かの形で外に発信し、周りに知ってもらわないと先に進めません。そのために、何か動いていたんですか?

L:海外のアニメフェスティバルに応募しました。ラッキーなことに、2009年、カナダのオタワ国際アニメーションフェスティバルにノミネートしたんです。当時、まだ学生だったのですが、そのフェスティバルには三つの作品を応募し、その全てがノミネートしたので、ただただ嬉しかったですね。そのことが、自信につながり、各フェスティバルに作品を応募して、海外のアニメフェスティバルに行き勉強するようになりました。

R:海外の作品やアニメ関係者に接して、ご自身、感じることがあったのではないですか?

L:そうですね。色々感じることがありました。例えば、中国におけるアニメ教育やアニメに対する捉え方は間違っているんじゃないかとかね。ですから、私自身、視野が一気に広がりました。オタワのフェスティバルで、抽象表現のアニメを紹介する枠がありました。中国では、そのような想像力を発揮した抽象的な作品というより、ただ加工をするだけの、まるで機械化されたようなアニメが主流なんです。全然違うなと感じました。

R:今、振り返ってみて、雷磊さんにとっての大学と大学院での6年間はいかがでしたか?

L:私が大学と大学院で学んだ6年間は、もちろん無駄ではなかったですよ。自由に創作させてもらえましたので。ただ、教授の中には、専門分野の知識がないのに、学校と関係があるという理由だけで教授をしているという方もいましたけどね。海外のフェスティバルでは、各国のアニメーション作家と知り合いましたが、彼らの大半が、大学などの学校でもアニメを教えている指導者でもあるんですよね。ただ、海外のフェスティバルで中国の先生たちの作品を見ることはほとんどありません。フェスティバルで見られる中国のアニメは、アーティストかインディペンデントで活動しているアニメーション作家の作品のなんです。教育者であり、海外でも認められたアニメーション作家というのがいない。これは、中国の欠点といえるかもしれませんね。

R:中国のアニメ産業における欠点など、何か気になることはありますか?

L:中国のアニメ産業は、単なる加工業として動いているように思います。日本のレベルにはまだまだ及ばないと思っています。ただ、中国のインディペンデントで活動しているアニメーション作家やショートフィルムとしてアニメを創作しているアーティストの中には、産業とは別の道を歩みながら活動していて、面白い人がいますね。

R:日本のアニメーション作家で好きな人はいますか?

L:何人かいるのですが、例えば、和田淳さんですね。彼は、ベルリン国際映画祭短編部門でも受賞していますし、その他にも海外のフェスティバルで多数の受賞歴があります。あとは、山村浩二さんや水江未来さんなどですね。彼らとは、フェスティバルでお会いしました。フェスティバルに行くといつも感じるのですが、日本のアニメーション作家たちは、しっかりとバックアップがあるんですよね。フェスティバル滞在中の費用は心配することはないですし、通訳がついてくれるし、宣伝や取材などのアレンジも他の人がしっかりとバックアップしてくれる。でも、私はいつも一人で動いているんです。ノミネートしたからといって、誰かがバックアップしてくれるわけでもなく、フェスティバルに行くときも、航空券の手配等、すべて自分でアレンジしなければならないんです。プロデューサーなどがいるわけではないので、DVDの作成も自分でしますし、作品の著作権のことも、自分でどうにかしなければならない。その点、まだまだと思いますね。

「中国、未来に目が向いていない」 R:中国でのアニメーション作家の立場はまだまだ弱いようですが、それでも、アニメーション作家として活動を続けているのはどうしてですか?

L:やっぱり、面白いからでしょうね。海外に行って、同じアニメーション作家たちに会って作品を見ると、アニメにはまだまだ可能性があると思うんですよ。アニメは、もっとも前衛的なアート表現ができると言えるかもしれません。私は、まだまだ楽しみ尽くしていないですね。

R:先ほど、中国のアニメ教育は未熟というお話がありましたが、雷さん自身、学校で教えるということは考えないですか?

L:まず、中国の教育体制からいって、私のような人間は受け入れてもらえないんですよね。大学院を卒業するとき、面倒をみてくれていた先生が、そのまま学校で教えたらと働きかけてくれたのですが、結局、私は在学中に学校に貢献せず、自分の創作活動ばかりに時間をかけていたという判断から、その話はなくなってしまったんです。もしかしたら、海外での留学経験があるとか、博士課程を修了しているという経歴があったら別なのでしょうが。でも、最近は、短期間の指導というかたちで、学校で教えることもあります。来年、アメリカでゲストスピーカーとして登壇する話もいただいています。私が40歳になったとき、もしかしたら、中国の学校から依頼があるのかもしれませんが、(笑)若いうちは、何か学校と関係があるということ以外では、なかなか固定の指導者としては受け入れてくれないんですよね。

R:海外で暮らした方が、活動しやすいのではと考えたりしませんか?

L:実は、考えたこともありますし、チャンスがあれば、海外で生活したいと思いますね。ただ、家族は中国にいるし、それに、なにより今の中国は面白いですからね。ヨーロッパなどでは考えられないようなことが、当たり前に発生しますから。でも、短期間の滞在、例えば、レジデンスなどのプログラムに応募したりしています。10月には、カナダのアートセンターでのレジデンスが決まっています。以前、東京のレジデンスにも申請をして、Skypeでの面接までいったのですが、残念ながら落ちてしまいました。まあ、チャンスはまだあると思っています。

R:北京で生活を続けているのはなぜですか?上海など、別の都市での活動は考えなかったですか?

L:やはり、北京は文化の中心ですし、文化活動も多いですからね。北京で生活しているアーティストやクリエイターの数は、他の都市と比べても圧倒的に多いです。上海は、商業的すぎるかな。

R:北京や中国政府は、雷さんのような若手クリエイターにバックアップはしてくれないですか?

L:ないですね。私としては、ぜひバックアップして欲しいと思っているんですけどね。でも、私のように、一人で活動している人間には、バックアップはしてくれないんです。アニメを学んでも、卒業後には、自分のアニメ創作をやめてしまう人がほとんどなんです。彼らが生存できるようなチャンスがないからだと思います。日本では、優秀な学生は海外のアニメスタジオなどでインターンとして学ぶチャンスがあると聞いています。国がバックアップしているんだと。そのように、未来のさらなる発展に目が向いているんですよね。中国は、未来に目が向いていないように思います。特に、アニメの世界においては。

R:今後は、中国のアニメーション作家がより活動しやすい環境になっていくといいですよね。

L:よくなっていくとは思いますけど、ただ、日本やアメリカを真似たようなコマーシャル性の強いアニメばかりを支持するのではなく、中国独自のオリジナリティのある作品を育てる必要があると思うんですよね。中国のオリジナルの文化というのは、断たれてしまいましたからね。

R:中国のアニメの歴史は、1920年代から始まると聞いたことがあります。その後、上海にアニメ制作会社が設立され、芸術性の高いアニメが多数制作されたそうですよね。

L:そうなんです。1950年代に「上海美術映画製作会社」が設立され、当時は旧ソ連や東ヨーロッパのアニメ産業と関係があったんです。共に、アメリカのハリウッドの商業アニメに対抗し、オリジナルの芸術性の高いアニメを制作して発信していたんです。その後、中国の文化が断たれてしまったこともあり、今では、コマーシャル性の強いアニメだけを生み出し、発信しているように思います。東ヨーロッパのフェスティバルに行くと、その国の昔からの芸術性の高いアニメのスタイルというのが維持されていると感じますが、中国は、完全にコマーシャル産業へと歩んでしまったように感じています。

R:中国では、80年代にテレビで日本のアニメが放映されていたと聞いています。雷さんも見ていたと思いますが、影響は受けましたか?

L:私と同世代の中国人は、皆、何かしらの影響を受けていると思いますよ。私は、自分の作品に直接、日本のアニメからの影響というものを反映させてはいませんが、例えば、私のアニメのなかだと、グラフィックデザインの部分には、日本の文化の要素が出ているように思います。日本のグラフィックデザイン、例えば、田中一光さんの作品のような、浮世絵と西洋の抽象デザインをミックスしたような作品を今作成中です。私自身、東洋と西洋の要素をミックスさせて表現したいと思っているんです。ただ、私が言っている東洋の要素とは、ヴィジュアル面だけでなく、スタイルであったり、構成であったり、そういう面も含みます。



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